悪魔が来りて笛を吹く
ほんとうをいうと、私はこの物語を書きたくないのだ――
昭和22年(1947年)9月28日、父が残した遺書を持参し、美禰子が金田一を訪ねる。
彼女の母・秌子(あきこ)が父らしい人物を目撃したと怯えていることから、母を利用して、誰かが怖ろしい企みをしているのではないかという相談をする。
明晩、母を落ち着かせるため子爵安否を確認する砂占いが行われるので、金田一はそこで椿家の人々を探ることになる。
そこには椿家の他、親戚の玉虫家と新宮家の人々も住んでいた。
概要
作者:横溝正史(1902~1981)初出:1951年
探偵小説雑誌『宝石』連載
収録:『悪魔が来りて笛を吹く』角川文庫、出版芸術社
(出版社芸術社の本作は解説あり)
原作
金田一が復員した翌年の昭和22年、戦後の混乱期に起きた事件。作品でいうと「黒猫亭事件」(東京)と「夜歩く」(岡山)の間の話。
太宰治の「斜陽」と世間を騒がせた帝銀事件を織り交ぜながら、特権階級の没落と退廃を描いているのが特徴。
代表作「獄門島」や「犬神家の一族」のような田舎の因習や因縁の話とは違った陰惨さを持つ。
東京を舞台とした金田一の、いわゆる「都会もの」はインモラルな内容が多く、読み手の好みがわかれる。
その中で本作は人気作。
補足
電気蓄音機
当時の電気蓄音機は真空管を使って動く。作中で勝手にレコードが鳴るのは、計画停電中、針を置いた状態でスイッチを入れておき、停電が解消されると自然に電気がボックスに流れ、真空管をあたためてレコードが回るからである。
フルート
英輔の遺作「悪魔が来りて笛を吹く」は、右手の中指と薬指を使わずに演奏が出来るという設定。1951年連載当時は「左手」の指が欠けているとなっていたが、これは作者の誤り(参照『悪魔が来りて笛を吹く』岩谷書店 あとがき)。
作者は当初、息子の友人でフルート作曲に興味を持つ笹森健英に作曲を依頼し、譜面を挿入するつもりだったらしい。
また、作中のフルートは黄金製だが、実際に黄金のフルートは存在する。
金製のメリットは、長年使用しても外観が美しく保たれる点にある。純度が高ければ高いほど重さが増し、体力と技術が必要となる。
なお、金フルートは倍音が鳴って遠達性が良いといわれているが、科学的根拠はない。
材質による音色の差異は、人間には聞き分けられないほどの差しかないらしい。
戦後混乱期の経済と治安
戦後混乱期(1945年9月2日~1950年6月25日or1952年4月28日)は、700万人にも及ぶ在外日本人の引き揚げもあり、庶民は合法的に配給された食糧だけでは生活財に事欠き生活が困難、ゆえにヤミ市と呼ばれる非合法な市場が全国各地で出現した。大都市は食料等の物資が極度に不足し、人々は鉄道を使って郊外へ買出しに出かけたが、戦時中に充分なメンテナンスをされずに酷使された施設や車両、人員により運転された列車は事故を多発し多数の乗客が犠牲になった。
警察組織もGHQの指導の下、内務省警保局による中央集権体制での運営は見直され、地方分権化された(旧警察法)。
しかし警察の地方自治は自治体の財政負担が大きくした。
また、行き過ぎた警察組織の細分化は過度の縄張り争いを招き、広域捜査の困難をもたらす。
そして、国家地方警察と自治体警察が独立対等のため国の治安に対する責任が不明確になる等の問題が発生していた。
スケキヨ版
原作との大きな違いは以下の通り。- 登場人物の人数
(秌子付き婆やの信乃、金田一と須磨へ向かう若手刑事の出川が未登場) - 金田一の帽子が壺にひっかかる描写と、それに関連する出来事の削除
- 玉虫殺害現場で見つかる、血の火焔太鼓とそれに関する出来事の削除
- 秌子の証言の追加
(原作は信乃と目賀の妨害で、秌子は事件の証言はしない) - 利彦による痣の証言時に美禰子を同席させる
(利彦と美禰子の諍いは、原作だと利彦殺害前の食卓) - YとZの真相が判明するタイミング(原作は須磨旅行の前に発覚する)
- 須磨旅行での時間経過(原作はもう一泊する)以降の時系列
- 飯尾の関与を疑うタイミング(原作は利彦殺害後)
- 玉虫殺害のトリック説明(原作は犯人指摘直前に一括)
- 怪しい人物(犯人)特定後の金田一たちの行動(原作は暫く泳がせる)
- 秌子の死に方
金田一耕助
見た目はみすぼらしいが、天性の話術を持つ探偵。どの作品にも言えるが、暗い雰囲気に引っ張られないよう、第三者で客観的な目線を保つようにした。
原作だと内情が細かく書かれ、悲しんだり恐怖したり、ウィルヘルム・マイステルに憤ったり心の中が忙しい。
原作よりも犯人の指摘を早くしたのは、尺の関係と事件真相の解決を優先する「金田一流ヒューマニズム」の折衷を悩んだ末。
犯人を泳がせることはしないが、犯人に会話の主導権を握らせ、事件を明らかにする「賭け」に出たような描写にした。
異論あるかもしれないが、脳みそが限界。
hitohiraさんのゆっくり文庫(以下、本家)を踏襲。
当初は自作素材を使用していたが、本家が素材の公開をされたので有難くお借りした。
この場を借りて御礼申し上げます。
当初は自作素材を使用していたが、本家が素材の公開をされたので有難くお借りした。
この場を借りて御礼申し上げます。
等々力警部
等々力は警視庁捜査一課の警部で、作者曰く竹を割ったような性格。昭和22年3月の事件(短編「暗闇の中の猫」)で出会って以降、東京を中心とした事件での相棒となる。
原作や他作品でも、金田一の推理に全幅の信頼を寄せて一貫して聞き手だが、それだと動画化した場合単調になるので、一緒に推理をしてもらった。
本家金田一から【まりさ】を抜擢。
本家の「そして誰もいなくなった」や黒虎さんの「マクベス」では艶っぽい役を演じるが、こちらでは徹底的におじさん。
帽子を脱ぐ関係で若干改造した。
Y先生(作者)
金田一シリーズで「記録者」の立場で登場。いきさつは、金田一の若い頃の事件(長編「本陣殺人事件」)をY先生が情報を集めて作品化したものを金田一が読み、小説化を認めたというもの(短編「黒猫亭事件」)。
動画では声のみ、ゆっくり系動画でなじみ深い【れいむ】。
美禰子(本作のヒロイン)
父亡きあとの椿家を懸命に守る一方、容姿への劣等感や親戚への反感、母の浅ましさなどに悩み、涙することが多い。父思いの娘ではあるが、手帳に遺された「悪魔の紋章」を「父の頭もすこしどうかしていたんだろうくらいに考えて」いたので案外冷静。
母親を「無邪気」「可哀想」「罪のない」と表現していることから「嫌い」の一言で片付かない、複雑な心情を抱いていると解釈。
「妹」「八重歯」の属性で【ふらん】を抜擢。
考察
※加筆と修正にあたり、2020年11月より大まかに書き直してあります。
三華族の経済事情
原作の記述をもとに、それぞれがどんな家か考察。
椿家
堂上家(上級貴族、公卿の総称)で笛を家業とする高い家柄で、維新後は傑物が現れず英輔の代では子爵の体面を保てぬほど困窮していると原作にある。堂上華族とはいえ家格はピンキリで、公家という理由だけで爵位を得ただけでは食い矜持はない、戦前から困窮する華族の例は実際存在した。
椿家はその典型例で、終戦で最後の頼みだった「権威」まで奪われた形になる。
新宮家
大名華族(江戸時代の大名家)で、貨殖の途に精通し繁栄していた一族と原作にある。堂上華族の多くが経済的基盤が不安定だった一方、大名華族は家屋敷の財産や旧家臣の人脈を持ち比較的裕福なことが実際多かった。
しかも維新後数十年間は家禄と金碌公債が支給され、商才や先見の明がある者は財産を増やすことが容易い環境におかれていたらしい。
新宮家も、その一例と思われる。
しかも維新後数十年間は家禄と金碌公債が支給され、商才や先見の明がある者は財産を増やすことが容易い環境におかれていたらしい。
新宮家も、その一例と思われる。
玉虫家
新宮兄妹の生母の実家で伯爵家。美禰子の言動から、いとこ婚を繰り返してきたことが明らかになる。
秌子
美禰子の母親、秌子は「狂い咲きの妖花」と原作でも表されるように、現実離れした美貌と男を不健全な気持ちにさせる雰囲気を持つ。ゆえに、翻案作品では描き方が「悪女」か「憐れな女」かで二分されている。
近年(2018年)は前者で描いていたので、自分の動画は後者で描いた。
ここでは「憐れな女」とした場合で考察する。
迎合しやすい
自分の信念や考えは、原作でほとんどない。また、周りからのチヤホヤを快く受け入れてきた描写から、流されやすく、自分に向けられた感情が善意か悪意か全く判断できない女性であると思われる。
良くも悪くも純粋
美禰子が「無邪気」と評するように、秌子は良くも悪くも素直。伯父の愛妾に対して差別意識がない、三春園の女将曰く平民の自分にも気兼ねなく話しかけてきた等々、世間ずれした所が全く見当たらない。
反面、自分が必要とされる条件は微笑みを常にたたえて場に添える花であること(金田一曰く、そうしろと教えられたような笑いかた)だという刷り込みがあるよう見受けられる。
利彦の歪み
何故こんなクソ野郎になったのか、原作で原因となる話が少しあったので考察する。コンプレックス
三春園の女将曰く「影が薄い」と評され、父や祖父の遺産は妹が多く貰い愛されるなど、劣等感の塊のような幼少期を過ごしてきた反面、家柄は良いギャップがあった。
しかも伯父たちは火消しに回るが横暴を咎めず一旦は金で解決したことから、自分はそれが許される身分だと勘違いし「財力=権力=何をしてもいい」図式が完成し、以降は歪んだ自信を持って妻に当たりちらしたり、生涯に渡って妹に財産も精神も依存したと思われる。
あの口封じに意味はあるのか
口封じに目撃者を強姦するのは傷口を広げるだけと述べたが、コメントで「嫁入り前に汚された事実を隠すため」というような意見もあり、確かにそうだと思った。今以上に貞操に厳しい面もあり、一般家庭の子女であれば手篭めにして黙らせる事は可能。
しかし、駒子の親が悪知恵の働く男だったため、それは叶わなかったかもしれない。
英輔の考え
彼がもっと「しっかり」していれば事件は防げたという意見はごもっとと思う一方、それが叶わなかった英輔の事情があると考えている。
華族であるプライド
作中、英輔は家名を気にしていることが何度も言及されている。紳士的で女中にも親切、娘に手に職をつけることを奨め近代的な考えを肯定する人物ではあるが、血統の誇りを拭い去ることができなかったのではないかと考える。
理解しがたい考えだが、自分が新しい生き方に順応できない諦めは同時代の小説、太宰治「斜陽」にも描かれている。
精神の弱さと意志の弱さは、必ずしも一致しない。
しかも、堂上家から見れば新興貴族にあたる新宮から酷い仕打ちがあればあるほど「本当の貴族は自分だ」という矜持を支えにして現状に耐える、ということも無いといえない。
結果、犯人にこのプライドを利用される形になったと自分は解釈する。
弱さを利用されてもいいという考え
とにかく「弱い」人物だが、唯々諾々と犯人に従っていたとは思えない。冒頭「気の弱さの底に、いざとなれば、いつ爆発するかもしれぬ、強い意志を示している」とあり、犯人への恐れや同情の他、痛みが伴っても過去を清算させようとしたと考える。
精神の弱さと意志の弱さは、必ずしも一致しない。
ちぐはぐな彼の行動(事実を口に出せない代わりにメッセージを残す)は、そういう意味があるのではと思う。
間接的に駒子の死を招いたことは罪だが、英輔の「こうする以外に道はない」という気持ちに追い込まれていた事実に対し、周りが救うことは難しいかったのかもしれない。
堀井親子
小夜の心情
作中でも謎が多く、心理描写は描かれていない。自分の出生と近親相姦への嫌悪感、恋人と子供への思いで悩んだ末の自死だと推測する。
近親相姦がなぜ禁忌なのか、説明するのは案外難しい。
遺伝的要因が通説だが、近親婚と遺伝系疾患の関係を検証するデータは少ない。
生物学的、人類学的観点や心理学からの説明もあるが、当てはまらない例外も多い。
生物学的、人類学的観点や心理学からの説明もあるが、当てはまらない例外も多い。
ただ、自分も社会的もタブーとする行為をさせられた場合、その人物は社会とのずれを自覚し、自己の存在意義に否定的になり、それを「罪」として苦しむ要因にはなる。
作中の小夜も、この思いに苦しんだと思われる。
振り切れなかった駒子
男に利用された点で秌子と共通し、良識さを持つ点で異なる苦しみがある。
我慢強さが彼女の特徴ではあるが、強靭だからこそ脆く、娘の妊娠という事実をきっかけに限界がきた頃には取返しのつかないところまできていたのかもしれない。
また、英輔が誇りに囚われていたように彼女は貞淑さに縛られた一方、彼のような爆発的な意志の発露と行動力は見受けられない。
耐えることが彼女なりの防御であると同時に自分の首を絞めることになるが、こうした人格形成の背景には父親の願い「都合のいい娘」が根底あったと思われる。
河村治雄
遺書では非道に徹し切れていない胸中が垣間見えている。一方で、単に可哀想な人ではない。
異母弟との関わりは原作でも確認できるが(植物の世話を手伝う等)、異父妹との交流は使用人と主人以上のものはほとんどない。
異性という理由以上に、異母妹との思い出から「妹」という存在に積極的にかかわることを避けていたと解釈する。
ただ、動画化するにあたり遺書が浮かないように伏線は入れた。
防げた悲劇なのか
秌子と駒子が、妊娠した子をおろしてしまえば悲劇はなかった、二人の人生も不幸にならないし、玉虫も強請られることがなかったのではないかという話もある。ただ、あの一筋縄でいかない辰五郎の存在がある限り難しい話だ。
もし堕胎していたら
玉虫が秌子を堕胎させた場合、辰五郎は近親相姦の証拠を失い、生涯に渡り玉虫を強請ることが出来なくなる。
しかし、代わりにマスコミに情報を売って大金を得ようとする虞が出る。そうなると玉虫と新宮の両家はスキャンダルまみれになる。
華族は宮内大臣と宮内省宗秩寮の監督下に置かれ、皇室の藩屏(守護者)としての品位を保持することが求められ、私生活に不祥事があると宗秩寮審議会(華族に関する重要事項や懲戒、礼遇を宮内大臣への報告する会)にかけられた。
そして、場合によっては爵位剥奪・除族・華族礼遇停止など厳しい処分を受ける(なお、史実で不祥事による爵位剥奪の例は見受けられなかった)。
たとえ権力や金の力で審議会を封じたとしても権威に傷がつき、政界での玉虫の力は弱体化必至。
しかも辰五郎という外野が「口封じしようとした新宮が俺の娘を手籠めにした」と騒ぎ、証拠として妊娠・出産して子供を持つ駒子の存在を出したら、辰五郎が当時の使用人たちを買収し証言させたら等、今度はそちらの対応に追われる。
では辰五郎を殺してしまえばいいかというと、動機があり過ぎて足がつく危険の方が大きい。
何が言いたいかと言うと、火消しの為にかかるコストが大きいということである。
華族関係、政界、マスコミ、辰五郎と四面楚歌になるよりも、辰五郎に金を渡し続ける方が失うものが少ない、しかも辰五郎は将来が安泰になる、そこに妥協点を見出したと思われる。
互いに弱みを握る状況が安泰だった
辰五郎は禁忌の子を預かり世間に公にしない代わりに、生涯遊んで暮らすことが出来る。玉虫は決定的な弱味を握られるが、辰五郎さえ黙らせておけばスキャンダルが漏れることがない。
駒子に子をおろさせなかったのも、辰五郎が近親相姦があった事実の証拠を念のため残そうとしたからかもしれない。
結論をいえば、小夜と治雄は双方勢力の地位のための保険として生かされたといえる。
自分で考察しておいてなんだが、ゲスな発想をして嫌になる。
最後に
復讐劇の物語を読むと、犯人や当事者たちはどうすれば良かったのかという考えをめぐらせる。しかし、どうしようもないことだと、いつもその結論に至り虚しくなる。
今回の場合、もし駒子や秌子が強姦されずに済んだら彼女は不幸にならなかったと思う一方、小夜や治雄はこの世にいてはならない存在なのかと言われるとそうではない。
また、治雄と小夜の関係が不純なものとも思いたくなかった。
一方でそれを理由に、誰かの大切な人(異父妹の父、異母妹の母)を犠牲にすることの正当化にはならない。
翻案を通して何か答えを出そうとしたが、結局それは出来なかった。
今回はエンコードを真剣に行ったため、画質が少しだけ向上した。
同時に時間がかかる、最終回にいたっては1回で7時間弱かかり、さらにはパソコンのフリーズに苦しめられた。寝ても覚めてもエンコードの日々。
それを乗り越え投稿した動画に音量ミスと字幕ミスを発見した時は、もう笑うしかなかった。
技術的にも脚本的にも未熟な動画だが、反響をいただいた上で原作に触れる方がいる事実に胸をなでおろしている。
- 横溝正史『横溝正史自選集 5 悪魔が来りて笛を吹く』出版芸術社
- 横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』角川文庫
- 横溝正史『本陣殺人事件』角川文庫
- 横溝正史『華やかな野獣』角川文庫
- 『映画秘宝EX 金田一耕助映像読本』洋泉社
- TBS『横溝正史シリーズI・悪魔が来りて笛を吹く』石森史郎 脚本、鈴木英夫 監督
- 東映『悪魔が来りて笛を吹く』斎藤光正
- フジテレビ『金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』佐藤嗣麻子 脚本、星護 演出
- 小田部雄次『華族-近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社
- 歴史読本2013年10月号「特集 華族 近代日本を彩った名家の実像」歴史読本編集部
- 原田武 『インセスト幻想 人類最後のタブー』 人文書院
- 山内昶 『タブーの謎を解く―食と性の文化学』 筑摩書房
- スーザン・フォワード 『毒になる親 一生苦しむ子ども』 玉置悟 訳、講談社
- 島田 雅彦『100分de名著 ソポクレス「オイディプス王」』NHK出版
- YAMAHA『楽器解体全書』より「フルートの運指表」
- N.H.Fletcher、T.D.Rossing(著) 岸憲史 (訳) 『楽器の物理学』丸善出版
- エリック・シャリーン『図説 世界史を変えた50の機械』柴田 譲治 訳、原書房
- 田上穣治『警察法』(法律学全集12)有斐閣
- 国会図書館「史料にみる日本の近代 乱闘国会と衆院事務総長の嘆き」
- 村上しほり、梅宮弘光「戦後神戸におけるヤミ市の形成と変容」神戸大学
Comments
本シリーズの影響で、原作の金田一耕助シリーズを読み始めました。思ったよりずっと読みやすくて面白いです。
ずいぶん前から、こちらにネタバレ感想コメントを書くと申しておきながら、今になってしまい、ごめんなさい。
非常に読み応えある編集後記を、ありがとうございます! ゆっくり『マクベス』の紹介もして下さって、心から感謝しております! 艶っぽい役のまりさ……うちのまりさ@マクベス夫人、艶っぽいでしょうか!? そうだったら嬉しいし、顔が赤くなります!
ゆっくり文庫さんもおっしゃるとおり、まりさはまさに大女優ですよね。女性役も二枚目も色悪も、この等々力警部のような探偵物語の要となるおじさん役もしっかりとこなせる。文庫版とはまたひと味違ったきめ田一&まりさ等々力コンビ、とても素敵でした。
『悪魔が来りて笛を吹く』未読だった私は、陰惨な物語ではありましたが純粋に謎を解く楽しみも味わいました。
陰惨きわまりない物語も、美禰子の強さ聡明さ美しさ(原作で不美人設定でしたが、彼女の人柄はたいへん美しいと思います)、そして華子&一彦母子のまともさ善良さのおかげで、つくづく救われました。
真犯人の予想は当たりましたが、むしろメタ的な要素(第2話、真犯人の偽証の音量が大きくなる)からだったので、純粋に謎解きできたとはいえないかも……。ドラマでも映画でも、キャスティングで犯人の目星が付いてしまうなんてことはよくありますが、こちらでは良い意味で誰が犯人か分かりづらく(犯人だけでなく周りのキャラも大物&曲者揃い!)、そういう意味でもエキサイティングでした。
また、私はわりと物語が進むまで(第4話あたりまで?)実は小夜=菊江ではないか――つまり、実は小夜は生きていて、治雄と共に屋敷に入り込んで復讐に来たのでは――と妄想してしまってました。よく話を読んでいればそうならないのですがね。ありすに引っ張られたかな? ありす演じる菊江ははまり役でした!価値観はよっぽどまっとうな彼女は勿論、破廉恥そのもののように見えた目賀先生(かなこ好演!)さえ、旧華族連中に比べればまだ「こちら側の人」だった、というのが、いっそう物語の闇を際立たせます。
第2話時点では、私ははじめ、利彦はコンプレックスを抱えたがゆえに転落した人なのか、と考えていましたが、結局、単に自分の問題が何なのか、自分の行動がいかに非道であるかを全く理解できていない人物だったと提示された時には、絶句しました。確かにごくまれにこういう、自分の有害さが分からない、説明しても通じない「ただただ有害な人物」はいるのでしょうが……。てんこは難しい役を見事に演じていたと思います。そしてせいが@秌子が本当にはまり役で……!美しくて愚かで、あまりにあわれな女。後で原作を拝読しましたが、特に終盤はスケキヨ版のアレンジが実にすがすがしく感じられました。母も子も、救われたように感じられたのです。
長文の感想になってしまい申し訳ありません。
これからのスケキヨ版ゆっくり文庫を、楽しみにしております!
どうか良いお年を!
後記までうp主さんが物語を深く掘り下げていらっしゃって、本当に尊敬します。しかも面白い。
私は学生時代に金田一シリーズを読んだのに、エンディングがちっとも思い出せません。
ただ読むだけでした。
ゆっくり文庫さんやスケキヨさんの後記を読んで、
「お二人みたいに掘り下げて読めば、心に残ったのかも…」
と、無為に時間を過ごしたことを後悔しております。
救いのあるオリジナル改変に心救われました。
次回作も楽しみにしています。