実況「7人目のスタンド使い」

 ジョジョの同人ゲーム「7人目のスタンド使い」のやり込み要素の一つ「カオスモード」での実況についてまとめ

2017年7月~2018年8月作製・完結。

主人公は18種類の主人公スタンドの一つ「キャラバン」の使い手、金田一(はじめ)。
ボケ倒すをモットーにしていたが、終盤が近づくにつれ真面目な内容になる。

7th JOJOとは

クレイマン氏作のRPGツクール2000製のフリーゲーム。
ジョジョの奇妙な冒険第3部「スターダストクルセイダース」の世界を舞台に、スタンド能力に目覚めた主人公が承太郎たちと共にエジプトを目指す。

物語はジョジョ第3部を忠実に再現しつつ、主人公の存在は原作を壊さず自然な形で紛れ込んでいく。



主人公(プレイヤー)のスタンドは、エニアグラム(性格分類学)を基にした診断によって、18種類のいずれか。
性格18種類×性別2種でストーリーや発言に違いがあり、邪悪度と呼ばれる見えない数値でも物語に分岐がおこる。

カオスモード

ver2.5試作版から追加された特殊モード。
文字通りカオスな状況がランダム、あるいはフラグ建てで巻き起こる。
原作や通常モードを知っていた方が楽しめる。
花京院のハンカチ誤字をはじめ、伝説のゲームメーカが生み出した魔物級ジョジョゲーム(通称コブラジョジョ)のネタなどがある。

エニアグラム

人間の性格を9種類に分類し、円周を九等分した図形に対応させた性格論、性格類型。
20世紀初頭に生み出され、現在も多くの場面で考察・研究されている。

ソニーやトヨタ、アップル・コンピューターなどの企業でも採用や人事に活用されている。
一方で、正確な計量的心理テストが限られ科学的な検証が困難なため、研究者によって解釈が異なったり疑似科学という批判もある。

エニアグラムでは、9種類の基本タイプの他に隣接したサブタイプ(ウィング)の考え方があり(18種)、更に状態(健全・通常・不健全)によって行動パターンの違いを明示。

例)
タイプ1(改革する人)のウイング9(平和の人)1w9
→内向ぎみ・自己の理想に向かい努力し目的達成
タイプ1(改革する人)のウイング2(助ける人)1w2
→外向ぎみ・考えを周りと共有しながら目的達成

自分は9w8なので、後述の主人公(7w6)の気持ちを酌み切れたか謎。

実況「金田一の冒険」

スタンド:キャラバン(7w6の男)
分岐:通常ルート(ifで潜水艦ルート)
邪悪度:意図的には上げていない

主人公

名前の由来は、デフォルト名「金田」と、あの「金田一一(はじめ)」からきている。
この人は推理しない。
学校さぼり気味、やれば出来る子設定は、じっちゃんの孫に由来。
周回プレイで主人公の母親がある一族との繋がりを示唆されるが、本実況動画ではカオスモードの要因で異常事態になる。

それによりキャラ設定に難儀したが、終盤は開き直って編集。
結果、ドライな性格になる。

7w6の性格

基本的に社交的で明るいが、心に不安を抱えて意外に慎重だったりと二面性がある。
個人的に、このタイプは常に最悪の状況を想定して行動し、考えを落ち着きなく変えているよう見せながら実は深める、油断ならない策士が多いと考える。
作者のクレイマン氏は第2部「戦闘潮流」の主人公、第3部で承太郎の祖父として登場するジョセフは「7w6」なのではないかと判断されている。

キャラバン

エセ関西弁で話しかけてくる鳥、色々と異色なスタンド。
アヴドゥルのスタンド「魔術師の赤」の引き締まった体に嫉妬が隠せない。

スタンド相手に攻撃が通らない、あの「限界を超える」系の技がない等で扱いにくいと言われているが、戦闘の創意工夫が出来るので終盤まで程よい緊張感を持って楽しめる。

潜水艦ルートは対人なので、キャラバンの真価が発揮されると思う。

壊れた登場人物たち

編集とカオスモードの都合上、原作の登場人物たちの俗物度が増している。
承太郎の天然化をはじめ、特にアヴドゥルはメタ発言が目立つ。

DIO側は比較的正常だが、一部がカオスの被害を受けている。


アバ茶

アバッキオから生成されるお茶。精神攻撃に用いられることが多い。
この実況動画で活躍。

ポーカー戦

完全オリジナルなポーカー戦。
歴代の7thJOJO実況者さん達が各々オリジナルなシナリオを用意されていたため、自分も義務だと腹を括って作成。

より頑張って編集したので是非みてください。

考察

作中に出てくる「運命」は、意図的に都合よく変えることができないものと示されている。
この考えは、ジョジョの原作中に「運命の奴隷」という言葉で、第5部「黄金の風」にも出てくる。
ただそこに悲観的な考えはなく、運命だとしても正義を捨てず突き進み、誰かに希望を伝える可能性を秘めた「眠れる奴隷」となることも示され、この考えは第6部「ストーンオーシャン」にも反映されている。

全員生存の難しさ

「7人目のスタンド使い」では、原作で死ぬ仲間を全員助けることは容易でない。
普通に進めると「友好度」が高い仲間のエンディング(以下、ED)にいくので、そのままDIOの館に突入した場合、一人だけ生存はEDによって可能だが、仲間全員となると条件や、運命の仕組みを理解する必要がある。
全員生存は、人によってはスッキリしない形での戦闘となる、仕方ない事だが。
(2018年10月現在。今後、もうひとつ全員生存EDを追加予定との事。ただ、作者には無理し過ぎないでほしい)

では、原作では死んでいた仲間EDの時、主人公は運命の仕組みを理解していないのに(周回してるから云々は置いて)なぜ、生存をさせる事に成功できたのか。
運命予定説でいけば、主人公が運命を変えようとすれば、運命もまた不変であろうと抵抗するはずだ。

死亡予定者の生存理由

私見では、主人公が運命というものを度外視して仲間を救おうとしたからと考える。
つまり、主人公の行動が結果的には運命の予想を上回ったということである。
運命を怖れず、苦難の道を進むことへの覚悟を持ち、一切の手加減なく行動したそのエネルギーが、死ぬはずだった仲間に(友好度という形で)向けられた、それがアヴドゥル、花京院、イギー各々のEDだと思っている。

ただ、全員となると相当の力が働かねばならないので、運命への傾向と対策が必要になる。
しかし、仕組みが分かったとして、実践した先の結果がどうなるかは、当事者たちも分からない。
それは運命にとっても同じことで、よく分からないことが起きて、結果抵抗できなくなったとも考えられる。
そして、実行して起きた結果を受け入れる覚悟があるのか、そこにフォーカスされた物語なのかもしれない。

総括

以上のようなことを、ジョジョの原作や関連する作品、このゲームに私は感じている。
ただ、「運命を変えるのもまた全て運命だ」と言われてしまえば、私はそうでない事の反証は出来ない。
しかし仮にそうだとしても、志や覚悟の行動は無意味ではなく、それが無駄だと評価されるいわれはない。

実際、運命は本当はどうかなんて分からないのだから、やれる事はやっておくのがいい。
運命云々より、後悔の方が人の心に陰を落とすと思う。

参考
  • 荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」(集英社)
  • クレイマン及び氏のツイート
  • 前田樹子『エニアグラム進化論』 春秋社

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